どうして人工妊娠中絶が集団虐殺なのか


グレッグ・カニングハム 著


ユダヤ大虐殺と人工妊娠中絶

ニューヨーク居住の正統ユダヤ教のプロ−ライフ支持者であるヤフダ・レビン先生は、人工妊娠中絶が集団虐殺であるという考えに賛成しています。彼は、人工 妊娠中絶が公正にユダヤ大虐殺、黒人への私刑、あるいは他の非人道的犯罪と比較することができると言っています。先生はこう主張しています。
集団虐殺の全種類、ユダヤ大虐殺、私刑、人工妊娠中絶などは、それぞれの動機と犯罪の方法が違います。しかし、集団虐殺のそれぞれの姿は国家承認された「選択」として無罪となり、無力な被害者が―人間性を否定されながら―組織的に殺される点で一致されます。
ユ ダヤ大虐殺の生存者でノーベル受賞者であるエリー・ウィ―セルが大学のキャンパスで演説をしたとき、偶然GAPの展示がありました。報道関係者は、彼の GAPについての意見を聞きました。彼は「方法は間違っている。比較すると皆が損をする。」と言いました。ウィ―セル氏はマーティン・ルーサー・キング Jrの1963年の「Letter From The Birmingham Jail(バーミングハム刑務所からの手紙)」という本を読んだことがないのではないかと思われます。その本で、キングはユダヤ人がドイツで残酷に扱われ たことを黒人がアメリカで残酷に扱われたことと比較しました。偉大な公民権の支持者であるキングはその本で、ユダヤ大虐殺がただの悪だったのではなく、耐 えられない悪だったというコンセンサス(総体的合意)に頼りました。そして、キング博士は人種差別がただ道徳に反するものではないというコンセンサスの展 開を支持しました。むしろ、人種差別はユダヤ人の殺人ほどの耐えられない道徳に反するものでした。私たちのGAP写真はただキング博士の論理を広げるもの で、良心のある人に人工妊娠中絶が名義だけの悪として軽視するものではないと分かっていただくためです。人工妊娠中絶は耐えられない、他の非人道的犯罪と 比較できる巨大な悪です。

ベン・スタインというユダヤ人のコラムニストは1998年5月付の雑誌American Spectatorで、この意見に共鳴した記事を載せています。
・・・[人工妊娠中絶の支持者達は]自分の手仕事、あるいは自分が守っている手仕事を直視することができません。彼らは、国中で 人工妊娠中絶で亡くなった赤ちゃんの写真から逃げまどいます。人工妊娠中絶支持者は強力な政治制度を通してテレビ局が人工妊娠中絶の画像を放送しないよう に強要しています。彼らはテレビの視聴者に人工妊娠中絶の政策が何を実現させたかを見せません。彼らは、私にとって、ダチャウで何が起こっていたかを考え ることを拒んだドイツ人のように見えます。ドイツ人は、それを実際見たとき、その惨たらしさに吐いて、それから見ないようにしました。
ユダヤ教のジェコブ・ニュースナー先生はそのようなユダヤ大虐殺と人工妊娠中絶大虐殺との比較をしています。
・・・イスラエルでの大量人工妊娠中絶はドイツで起こった大勢のユダヤ人の子供たちの集団虐殺と比較することができないでしょうか。
* * *
数が増え続けば、量を考慮してどの時点で数百万人の全滅を集団虐殺と呼ばれるのでしょうか。私は集団虐殺だと思っています。今日も集団虐殺が起こっています。現在イスラエルで生まれる子供たちの一人一人はイスラエル法で認められた集団虐殺の生存者です。
* * *
違いはドイツが自分の恥じを認めたことです。一方、イスラエルは毎年数万人が全滅されることを決して認めません。
集団虐殺と「選択」という作り話

多くのアメリカ人は、自分は人工妊娠中絶に賛成しないと言いながら、「選択」を正当化します。自分は個人的に反対ですが、その「選択」を他人に押しつける 権利はないと主張します。しかし、人工妊娠中絶に対する道徳を律法で定めることを拒む人のほとんどの人は、黒人を残酷に扱う「選択」については正しく禁止 します。人工妊娠中絶を禁止する努力は人種的不公平さを禁止するキャンペーンと同じで、ただ個人的道徳の問題ではありません。ただ個人の行為に関するもの ではありません。ある人が他人に何をするかという問題です。

政府は人の寝室に入るべきではありませんが(そこで人工妊娠中絶が行われない限り)、被害者の年齢、人種、宗教などに関係なく、政府の集団虐殺に対する中 立政策ということは作り話です。もし政府が黒人に対する法律上の保護を突然取り消したら、政治は「人種問題に触れない」ということになるでしょうか。それ とも、黒人を私刑することが個人的な「選択」だと主張する人に味方することになるのでしょうか。そのような政治的な「中立」は明らかに黒人を集団虐殺に見 捨てることです。(1999年3月8日のNewsweekに よると、ある「白人のみ」のホームページにはジョン・ウィリアム・キングが、ただ動物に対する残酷な行為でさえ有罪だと書いてありました。彼はテキサス州 のジャスパーで黒人のジェームズ・バードJrを私刑にして、小型トラックの後ろから引っ張って殺したことで有罪だと判決されました。)

もしある人が、「私は個人的に黒人を私刑することに反対ですが、それを法律で禁止するべきではない」と言ったら、その人は道徳上優位な立場に立つでしょう か。人種問題の「穏健な」・前進的な立場は「私は黒人の私刑を支持しませんが、その権利を信じている」という立場でしょうか。違いますか。その議論を未生 の子どもに対して使うことも「穏健」または前進的ではありません。

実は、人種差別主義の州権拡張論者が伝統的な「選択」権尊重の立場を採用していました。彼らは奴隷廃止主義者が奴隷制度に反対なら、その解決は黒人を買わ ないことだと主張していました。人工妊娠中絶と同様、政府は奴隷制度を命令しなかったのです。それは個人の「選択」でした。でも人工妊娠中絶と違って、政 府は自分の黒人を買う余裕がない白人のために奴隷制度を助成しませんでした。しかし、奴隷制度を「選択」した人たちは自分の財産を守る憲法上の権利がある と主張しました。「外部の運動家」は誰も自分の奴隷廃止主義の道徳を農園主、またはクー・クラックス・クランに押し付ける権利を持っていないと主張しまし た。


戻る | 進む        ページを選択: 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13