2008年4月10日に日本キリスト教協議会が死刑に対する抗議をしました。
法務省が、「法の理念」の下に死刑執行を行うときを「定められたとき」と言うならば、私たちキリスト者は、それに対し「ひ とりひとりのいのちは、神が祝福 のうちに世に与えたいのちゆえ、生まれるときも、死ぬときも、神の福音のもとに定められたときにある大切ないのち」と考えています。・・・本日国家の名の下に4人の死刑が執行されたことに対して、私たちは、神の与えたいのちの枝に繋がりあいながら、強く抗議いたします。
私はこれを理解することができません。なぜなら、聖書には次のような命令が書かれています。
あなたがたは、死刑に当たる悪を行なった殺人者のいのちのために贖い金を受け取ってはならない。彼は必ず殺されなければならない。(民数記35:31)
これは誰が命じているのでしょうか。そう、神様です。日本キリスト教協議会は政府が殺人者を処罰しなくてもいいと思っているのでしょうか。いいえ、違うと思います。きっと処罰しなければならないと思っていると思います。それならどうして神様が命じた処罰がいけないのでしょうか。
私たち個人個人は赦すように命じられています。しかし、政府は犯罪者を赦すのではなく処罰するように命じられています。その違いを理解しなければなりません。
それは、[政府]があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。[政府]は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。(ローマ13:4)
「剣」は打つためではなく殺すためのものです。聖書の神は死刑制度の廃止を命じたのではありません。むしろ殺人者を死刑にするように命じています。
人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。(創世記9:6)
人の命は無限に大切です。その命を奪った人を懲役刑に処するだけではその奪われた命を落としめることになります。
2008年5月11日