神の子らとネフィリムは誰だったのでしょうか
創世記6:2-4の「神の子ら」、「人の娘たち」そしてその間で生まれた「ネフィリム」は誰だったのでしょうか。
神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。 神の子らが、人の娘たちのところにはいり、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。
私はこの「神の子ら」が堕落した天使(あるいは堕落した天使に取り付かれた人間)で、ネフィリムが天使と人間との間で生まれた雑種の生き物だという風に教わりました。しかし、私は聖書が堕落した天使を「神の子ら」と呼ぶのだろうかといつも疑問に思っていました。堕落した天使は「神の子ら」と呼ばれる資格を失ったはずです。堕落した人間はそうですから。ヨハネ1:12に次のように書いてあります。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」
そしてこの解釈にはもう一つ大きな問題があります。天使は霊の存在です。人間の形を取って現れることがありますが、それでも実際の肉の体を持っていないはずです。この堕落した天使たちが悪い人間を取り付いた可能性がありますが、その場合でも自分たちの性質を人間の子孫に遺伝子的に伝えることはありません。そうするとネフィリムが普通の人間だったということになります。
私は「神の子ら」が信仰の道を歩んでいたアダムの子孫(アダムとエバにはセツ以外にも息子と娘がいたのでセツの子孫だったと限らない)のことで、「人の娘」が悪の道を歩んでいたアダムの子孫(おそらくカインの子孫)のことだと思います。そしてネフィリムがその間に生まれた子供のことになります。巨人だったからといって超自然的な力を持ったということにはなりません。ネフィリムという言葉は「巨人」ではなく「威張るもの」とか「暴君」という意味だという説もあります。どちらにしても背が高いからといって誰かが超自然の力を持っていると考える必要はないと思います。
旧約聖書では「神の子ら」が天使を指しているという議論は説得力に乏しいと思います。ヨブ記1:6を見ると、この言葉はサタンに対して使われていないことが分かります。神の子どもとされる特権を持っている従順な天使たちに使われています(ヨブ記38:7)。従順な天使が人間と結婚することで神の計画を邪魔することはありませんので創世記6章の「神の子ら」が従順な天使たちに対して使われていないことが分かります。そうすると、ここでは「神の子ら」は天使たちのことではないということになります。
ある人たちは「それでは、神はセツの子孫がカインの子孫と結婚するのを禁止しなかったのにどうして大洪水を送ったか」と聞きます。 それは信仰の道を歩んでいたものが悪の道を歩んでいたものと結婚したことで悪の道を歩む子孫を残し、その結果として「地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾く」ようになったからです(創世記6:5)。


