臨死体験について

日曜日のメッセージはラザロと金持ちの話でした。

ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。 さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。 彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』 彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。 私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』 しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』 彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』(ルカ16:19-30)

今回のゲストスピーカーはこの箇所に関していくつかいい指摘をしました。ついでに彼は臨死体験の話をちらっとしました。私は臨死体験に対して疑問を感じます。

臨死体験が脳にある化学反応によるもの、あるいは幻覚だという研究者がいますが、私もそうではないかと思います。臨死体験をした方々は死後の世界から戻ってきてると思いません。これらの方々は死を宣言されたかもしれませんが、本当に魂が体から離れたのでしょうか。私はそう思いません。上記の聖書の箇所から、死んでから戻ることができないということを学びます。金持ちはどうしても自分の家族に警告をしたかったのですが、できませんでした。「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」とヘブル9章27節に書かれています。

蘇生ができなくなった時点で魂が体から離れると私は思います。戻ってくることもできないし、魂がただ宙に浮いている状態にもならないので臨死体験は死後の世界について調べるためにほとんど役立たないと思います。「運がよく死を免れる」ことはありません。死んだらどうなるか調べるには、この間のゲストスピーカーが言ったように、 死と陰府の鍵を持っている方(黙示録1:18)に聞かなければなりません。イエスは死に対するすべての権威を持っているため、死という題に関する権威筋です。


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