神はパロの心をかたくなにしたのか?
簡単に答えるとはい、神はパロの心をかたくなにしました。しかし、質問の「心をかたくなにした」とはどういう意味かによって答えは「いいえ」に変わります。神が行った業はパロの心を無関心から敵意に変えたかという意味でしたら、そのとおりです。しかし、神がパロの心と意志に働きパロが悔い改めないようにしたかという意味でしたら、それは大違いです。神はそんなことを一切していません。
まず、出エジプト記5:2を見ましょう。パロは次のように言っています。「主とはいったい何者か。・・・私は主を知らない。」この物語のはじめではパロは真の神に対して無関心です。彼はエジプトの神々を信じており、また自分も神だと思っています。
次に、パロの心がかたくなになった経緯を見ましょう。この表現は三つの形で出てきます。
1) 予言:
「わたしはパロの心をかたくなにする」(出エジプト記7:3)
2) パロは(自分自身で)強情になった:
「それでもパロの心はかたくなになり・・・」(7:13)
「パロの心は強情で・・・」(7:14)
「パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞こうとはしなかった。主の言われたとおりである。」(7:22)
「ところが、パロは息つく暇のできたのを見て、強情になり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主の言われたとおりである。 」(8:15)
「しかしパロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞き入れなかった。主の言われたとおりである。 」(8:19)
「しかし、パロはこのときも強情になり・・・」(8:32)
「それでも、パロの心は強情で・・・」(9:7)
「パロは雨と雹と雷がやんだのを見たとき、またも罪を犯し、彼とその家臣たちは強情になった。パロの心はかたくなになり、彼はイスラエル人を行かせなかった。主がモーセを通して言われたとおりである。 」(9:34-35)
3) 主はパロの心をかたくなにされる:
「主はパロの心をかたくなにされ、彼はふたりの言うことを聞き入れなかった。主がモーセに言われたとおりである。 」(9:12)
「「パロのところに行け。わたしは彼とその家臣たちを強情にした。それは、わたしがわたしのこれらのしるしを彼らの中に、行なうためであり・・・」(10:1)
「しかし主がパロの心をかたくなにされたので、彼はイスラエル人を行かせなかった。」(10:20)
「しかし、主はパロの心をかたくなにされた。パロは彼らを行かせようとはしなかった。 」(10:27)
「しかし主はパロの心をかたくなにされ、パロはイスラエル人を自分の国から出て行かせなかった。」(11:10)
5章ではパロが主のことを知らないということが分かります。完全に無関心です。よく教えられることに反して、出エジプト記5章~12章は神のさばきについて語っているのではなく神の哀れみについて語っています。
昨日教会で副牧師がこの箇所の十の災いはエジプトの神々が本物ではないということを証明するためのものだったと教えてくれました。エジプトではナイル川、蛙、パロ自身などが神だと信じられていました。この十の災いによってこれらの神々が本物ではないということが証明されました。
それぞれの災いはパロに悔い改めるチャンスを与えるために送られたのです。神はパロが悔い改めることを望んでいたということは出エジプト記7:23から分かります。「パロは身を返して自分の家にはいり、これに心を留めなかった。」神が望んでいたことはパロが神に心を留めることでした。しかし、パロの心はかたくなになりました。
パロはこれらの災いを受けて2通りの反応ができました。一つは彼が実際に選んだ心をかたくなにすることです。もう一つは悔い改めて神を信じることです。実は出エジプト9:27でパロは何のことが求められているか知っていたということが分かります。「そこでパロは使いをやって、モーセとアロンを呼び寄せ、彼らに言った。『今度は、私は罪を犯した。主は正しいお方だ。私と私の民は悪者だ。』」 しかし、パロはただ一時的な救済を求めていただけです。34節ですでにまた強情になっていました。
神が「わたしはパロの心をかたくなにする」と言った時、それは災いを送るという意味でした。それらの災いが反省をもたらすか反抗をもたらすかはパロの自由意志次第でした。結局反抗をもたらしました。これは神がパロの心をかたくなにした方法です。
神の最終目的はイスラエル人の開放でした。それはパロの自由意志に関係なく達成されました。パロが悔い改めたらイスラエルを行かせたでしょう。しかし、パロは悔い改めなかったので神は違う方法でイスラエルの民を救いました。
この解釈は出エジプト記33:19(ローマ9:15-18)に新たな光を当てます。「わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」 これは「私が選ぶ者は救われる、それ以外の者は滅びられるけど何か文句でもあるのか」という意味ではなく、「私は嫌悪されて当然の者もあわれむ。私の恵とあわれみは無限であるからだ。」という意味になります。(出エジプト9:15-16で神はパロに対して次のように言っています。「わたしが今、手を伸ばして、あなたとあなたの民を疫病で打つなら、あなたは地から消し去られる。それにもかかわらず、わたしは、わたしの力をあなたに示すためにあなたを立てておく(死から免れさせる)。また、わたしの名を全地に告げ知らせるためである。」これはさばきではなく恵です。)
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はじめまして。
この聖書箇所の解釈に何年もずっとひっかかってきました。
いろいろあって神様は人の心をかたくなにされるこの箇所を思い出すような出来事があったのです。
それでさっきググってみたらここにたどり着き、「私は嫌悪されて当然の者もあわれむ。私の恵とあわれみは無限であるからだ。」というのを読んでとてもよかったです。納得です。
聖書解釈は大変重要ですよね。でも知れば知るほど神様は素晴らしい。神様が素晴らしいとわかると心が高まります。
やっぱ、記事にして残すって必要なのかな~ってのも感じました。
みみこさん
コメントありがとうございます。
ググるって「グーグルで検索する」という意味ですね。初めて聞きました。
God bless you!
ケイシー
ケイシーさん
「めちゃビビったっちゅうねん」
お返事ありがとうございます。
最初は日本人と思って読んでいたのです。
あとから「僕はアメリカ人」とどこかで見てびっくりしました。
ヘブル語やギリシャ語も読めるのですか?
あなたのように、聖書を理解するにはやはり原典が必要ですか?
私はクリスチャンで、自分では伝道者だと思っています。だからもっとわかりたいのです。なぜなら、そのうちもっと生活を伝道に費やす時が来ると(勝手に)想像してるからです。よかったらおすすめの聖書研究方法があれば教えていただけませんか?
今日はもっと記事を読みすすめさせていただきます。
みみこさん
ハハハ。いろいろ文法間違いとかあるかと思いますので大目に見ていただきありがとうございます。
僕は英語と日本語しかできません。ヘブル語やギリシャ語に興味を持っていますが、まだ勉強したことはありません。幸いに英語で書かれている資料がたくさんあります。あと、小中高はクリスチャンスクールに通っていました。毎週聖書の授業もありました。
キリスト教弁明の一番いい本は「アンサーズ・ブック」だと思います。クリエーション・リサーチから購入できます。
http://www.sozoron.org/bookstore.htm
後はC.S.ルイスの本はすべてお勧めです。
創造の話は好きです。このサイトでも書かれているレビヤタンが恐竜だというのをそういう研究をしている人にずっと前にNZで教わり超カンゲキしました。日本の漁船がくびなが竜?らしいのを網に捕らえたとかなんとか・・?フランスでは森にトリケラトプスが住んでるのが常識とか?(それホンマですのん?)
私は視力がいいのですが、目のレンズがすごくよくできてるのが神様を感じるのです。
カメラのホワイトバランスやピントが私の目は自動なのですごいと思います!なんと、それが虫とかにもついてるなんて豪華すぎる。
そしてC.S.ルイスの名前がでるとは思いませんでした。悪魔の手紙を持っていますし、TSUTAYAでナルニアの映画借りて見ましたが、大変によくできてて、聖書理解をしたい人にすすめてます。そんな話、する相手がいなくてテンションめちゃあがります!!
おすすめいただいた本、知りませんでした。どれか読んでみますね。
あと、月岡世光先生にもカンゲキして手紙かいたことあります。
恐竜はパキケファロサウルスが好きです。
あ、ちなみに私はヘブル語どころか英語も厳しいのですが、PHPはわかります。
いっぱい書いてごめんなさい。
いえいえ。なかなかコメントしてくださる方がいないからとてもうれしいです。
日本の漁船がくびなが竜?らしいのを網に捕らえたのは事実ですが、おそらくウバザメでした。ウバザメの腐りかけの死体を写真で見たことがありますがとても似ています。フランスの森にトリケラトプスが住んでるという話は聞いたことがありません。それもおそらく伝説に過ぎないと思います。本当の話だったらすぐに見つけられるはずです。恐竜は恐らくすべて絶滅していると思います。アマゾンとかで見つける可能性はありますが、残念ながら化石でしか会えることができないでしょう。
C.S.ルイスの「キリスト教の精髄」はお勧めです。
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/0000716717/s/ で買えるようです。