士師記


11:30-31

エフタの娘はどうなったのか。
エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。」
この聖句には主の霊が下ったエフタが人間の生贄を捧げて、神様が受け入れたように見えますが、そうではありません。エフタは人間の生贄が禁止されていたこ とを知っていたはずです(レビ記18:21;20:2-5;申命記12:42;18:10)。そして、文字通りの「全焼の生贄」は雄でなければなりません でした(レビ記22:18-19)。言うまでもなく、エフタの娘は雄ではなかったのです。士師記11:29に「主の霊がエフタの上に下った」と書いてあり ます。こういう人は自分の娘を殺すということはありえません。31節は「そのものを主のものといたします。私はそのものを全焼の生贄として捧げます。」と 書いてありますが、ヘブル語の「ワウ」という言葉は「それとも」という意味も入っています。これはより正しい翻訳だと思えます。38節に「彼女は友だちと いっしょに行き、山々の上で自分の処女であることを泣き悲しんだ。」と書いてありますが、もし死ななければならないなら、娘は自分の人生の短さを泣き悲し んだはずです。39節に「父は誓った誓願どおりに、彼女に行った。彼女はついに男を知らなかった。」と書いてありますが、もし彼女が死んだなら、男を知ら なかったということは当たり前でわざわざ書かれていないでしょう。最後に、神様への約束を破ることはもちろん、罪ですが、人殺しはもっとひどい罪です。