ヘブル人への手紙


4:1-11

創造の第七日は現在までもまだ継続しているか。
ヘブル人への手紙4:1−11は創造の第七日をキリストにある安息と比較しています。キリストを信じる人のみがこの安息を経験します。もしこれが第七日の 継続を意味していたならば、すべての人はすでにこの安息にあるわけになります。この安息は明らかに霊的な安息を意味しています。

3節は、創造主が世の創造からずっと休んでおられると教えています。しかし、第七日が普通の日でなければこの比較は無意味になります。ヘブライ人の手紙で は一度も第七日が継続していると書いてありません。書いてあるのはただ創造主の安息が継続していることです。創造主が文字通りの第七日に休んでそして今ま で休み続けていることは不可能ですか。もしある人が月曜日に「私は土曜日に休みました」と言ってまだ月曜日に休んでいるなら、土曜日は月曜日まで続けてい るということになりますか。

その上、創造主の第七日での休みはいつも過去形で表されています。創世記2:3の「シャバット」という言葉は過去完了の形です。言い換えると、その働きは 過去に終わったという意味です。確かに創造主はまだ創造から「休んでいる」のです。なぜなら、創造は完了しています。しかし、聖書では決して創造主が「第 七日に休んでいる」と書いてありません。むしろ、その日の休みは完了されていると書いてあります。もし第七日が今まで続けているならその過去形はおかしい ことになります。

ですから、第七日は普通の24時間の日であり、その日に創造主が創造の働きを完了したのです。

出エジプト記20:9−11では次のように書いてあります。
六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である・・・それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを作り、七日目に休まれたからである・・・
これは確かに永遠の週末を教えていないでしょう。

最後に、一番大切なのは、継続している日は聖書の明確な教えと矛盾しています。聖書を矛盾する解釈は正しくありません。すべての聖書は文字通りの六日間を教えています。例えば、

・ 「ヨム」(日)というヘブル語は、数字やはっきりした境界となる言葉と一緒に使用される時は、例外なく、必ず文字通りの「一日」を意味します。

・ 長い間を意味していたなら、創造主がたくさんの言葉を使えたのです。しかし、それらを使わなかったのです。

10:11
旧約の生贄が罪を除き去ることができなかったなら、何の役を果たしたのか。
また、すべて祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。
旧約の生贄は人間を完璧にしたり、神様を満足させたり、罪を除き去ったりすることができませんでしたが、旧約の生贄はイエス様の生贄の必要性を描写しまし た。イエス様の生贄だけが、神様から見て人間を完璧にし、神様を満足させ、罪を除き去ることができるのです。旧約の時代の人たちは生贄を捧げた時、神様は それをしるしとして受け入れてくださいました。イエス様は最後の生贄となりました。