創世記


1:1-23; 2:4-22

創世記には二つの天地創造の物語があるか。
懐疑論者たちは文体の相違や創造の順序を指摘し、創世記第一章と第二章が矛盾していると主張します。

まず、作者が一人だったとしたら、第一章と第二章の文体が違うということはおかしいことでしょうか。私はそうは思いません。強調または解釈のために文体を 変えることが当然ではないでしょうか。私は創世記の作者が一人だと信じています。内面的な証拠は一人の作者を指摘しています。第一章と第二章には、明白な 模様があります:

  • 1:1-2 紹介
  • 2:4-6 紹介
  • 1:3-5 光/闇
  • 2:7 人/ちり
  • 1:6−8 天の大空
  • 2:8 地の園
  • 1:9−13 水、地、植物
  • 2:9−15 植物、水、地
  • 1:14−19 光るものの区別
  • 2:16−17 二つの木の区別
  • 1:20−23 動物の創造
  • 2:18 人間に対する関心
  • 1:24−31 創造は引き続く
  • 2:19−22 関心は引き続く
  • 次に、創造の順序をみましょう。作者が一人だったという証拠はまだあります。創世記には、「…の歴史の記録である」という句はよく出てきます。この「歴 史」という言葉はヘブル語では「トレドット」という言葉です。この言葉は家族の歴史、または連続という意味を表しています。創世記には、この「トレドッ ト」という紹介は約12回でてきて、その中の一回は二章の四節です。ですから、二章には第二の創造物語がありません。二章は第六日について詳しく書いてあ ります。19節をみましょう。

    神である主が、土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。
    と 書いてありますが、これは翻訳の間違いです。この「形造られたとき」のもっと正しい訳は「すでに形造られたので」だと思われます。したがって、二章には創 造の順序は書いてありません。もう少しみましょう。19節には、「土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥」と述べてありますが、20節では、アダムは、 「すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた」と書いてあります。この家畜はどこから来たのでしょうか。やはり、すでに造られたのです。

    創世記第一章と第二章の内容は、矛盾していません。

    1:3-2:7

    創造主が全世界を創るのにどのくらいかかったか。
    聖書で言う「一日」とは、どのくらいの長さだったのでしょう。聖書の著者達は「長い間」を意味するのに、たまに「日」という言葉を用いたことは、疑う余地 がありません。しかし、創世記一章での「ヨム」(日)というヘブル語の使い方は、この聖句を解釈するために非常に重要です。このヘブル語の言葉は、数字や はっきりした境界となる言葉と一緒に使用される時は、例外なく、文字通りの「一日」を意味します。創世記一章の創造の六日間には、毎回必ず数字だけでなく 境界(朝と夕)となる言葉が一緒に使われています。従って、創世記の一日は文字通り、一日のことです。創造主は全世界を六日の間に創造されました。創造主 が全能の神様であられることを考えると、なぜ全能の創造主は全世界を創るのに六秒ではなく、六日間かけたのかと思う方もあるかもしれません。答えは簡単で す。創造主は、私たちのために手本を見せるためあえて6日間かけてこの世界を創られたのです。出エジプト記20:9-11にはこう書いてあります。
    六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である・・・それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを作り、七日目に休まれたからである・・・
    一年とはどのように定義されますか。一年は地球が太陽を一周する時間です。一ヶ月はどうでしょう。一ヶ月は月が地球を一周する時間です。一日はどうでしょ うか。地球が一回の自転に要する時間です。では、一週間はどこからきたのでしょう。物理的な説明はありません。一週間は創造主が全世界を創った期間です。

    1:11-19

    この聖句によると、太陽の創造が地球の創造より後になっているが、これは不合理的ではないか。
    神が、「地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ。」と仰せられると、そのようになった。 それで、地は植物、おのおのその種類にしたがって種を生じる草、おのおのその種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ木を生じた。神は見て、それをよしとされた。 こうして夕があり、朝があった。第三日。 ついで神は、「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。 天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」と仰せられた。するとそのようになった。 それで神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。 神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、 また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神は見て、それをよしとされた。 こうして夕があり、朝があった。第四日。
    もし、創世記に書いてある「日」という言葉が計り知れない長い期間を意味していたら、もちろんこれは不合理的な話です。しかし、上にも書いたように、ここでの「日」は24時間の文字通りの日でした。地上にあった植物は24時間太陽の光なしで生き残れたわけです。

    1:27

    「神のかたち」とは何だろう。
    神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

    神のかたちというのは肉体の体という意味ではありません。なぜなら、ヨハネ4:24によると、神は霊です。創世記2:7は「土のちりで人を」造ったと書い てあります。ですから、人間の体は優れたものではありません。神のかたちという意味は、私たちがモラルの意識、抽象的な考え、美の理解、感情、創造主を礼 拝し愛する能力というような特徴を持っていることです。

    2:2

    第七日は現在までもまだ継続しているか。
    ヘブル人への手紙4:1-11参照

    4:5

    なぜ創造主はカインの供え物を気にかけなかったのでしょう。
    だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。

    アダムとエバはカインとアベルに創造主と交わるため、罪のない血の代わりとなる犠牲が必要だということを教えたはずです(創世記3:21)。しかし、カイ ンの供え物は地の作物でした。6節と7節では、創造主はこう言いわれました。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく 行ったのであれば、受け入れられる」。

    4:12

    カインは「地上をさすらう者」とならなかったのか。
    それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。
    創世記 4:16−17では、「それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。さて、カインは、その妻を知った。彼女はみごも り、エノクを生んだ。カインは町を建てていたので、自分の子の名にちなんで、その町にエノクという名をつけた。」と書いてありますが、神様の予言は外れた のでしょうか。12節をよく見て下さい。カインは、「土地を耕しても、土地はもはや…生じない」。では、カインはどうやって生き残るための食べ物を得たの でしょうか。その時代に、お店がなかったので、結局カインは場所から場所へさまよって、食べ物を探さなければなりませんでした。

    4:17

    カインの妻はどこから来たのでしょう。
    さて、カインは、その妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ。カインは町を建てていたので、自分の子の名にちなんで、その町にエノクという名をつけた。

    カインの妻は、彼の妹だったと思われます。あるいは彼の姪だったかもしれません。創世記5:4にはこうあります。「アダムは…八百年生き、息子、娘たちを 生んだ」。近親相姦の禁止は、モーセの時代までありませんでした。その理由は、どうして近親相姦がいけないのかを考えればわかるでしょう。神がお創りに なったこの世界は、完全なものでした。人間のDNAも同じです。罪がこの世界に入って世界が堕落していく過程で、DNAにもその影響(突然変異など)がで てきました。しかしその突然変異もはじめの頃(カインの時代も)は、少なかったからです。

    6:1−3

    神様の予言は外れたか。
    さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。 そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。
    この聖句も翻訳の不明さで勘違いされています。この預言は一人の寿命に関するものではなく、地球にいたすべての人間の残り時間でした。予言というよりも、 裁きです。この120年の間に、人間が悔い改めなかったら、神様は大水で人間を滅ぼすという意味でした。それで、120年が経ちましたが、人間はノアの話 を聞かず、悔い改めなかったので、人間の時間はそこで終わりました。神様の言った通りになりました。

    12:11-15; 20:1-14; 26:1-11

    三つのよく似た物語があるが本当に同じようなことが三度も起きたのか。
    懐疑論者たちは創世記の中にあるアブラハムがサラを妹と呼ぶ二つの話とイサクがリベカを妹と呼ぶ話が実際、間違えられて一つの話を三つの話にしたものだと 主張します。しかし、私はアブラハムが二回同じ間違いをしたということを変に思いません――私はそれをよくします。それに、イサクが自分の父の間違いを繰 り返すということを不思議に思いません。なぜかというと、アブラハムは二回そう言う嘘をついて、生き残りました。パニックの時に、イサクが父の間違いを繰 り返したことはおかしくないと思います。

    もう一つは二番目の話(20:1-14)に向けられます。それはどういう議論かというと、このとき、サラは90歳以上でした。これは確かにそうです。で は、なぜアブラハムはサラが美しいと思い、彼女のために殺されると思ったのでしょうか。答えは18章に見つけることができます。サラが高齢にもかかわらず 子供を産むように神様が奇跡を起こしてくださいました。ユダヤ人の伝統によると、このことを成し遂げるため、神様は2人の体を若返らせたと考えられていま す。ですから、アブラハムとサラがゲラルに行った時、年でしたが、見た目では若かったのです。

    21:31; 26:33

    ベール・シェバはアブラハムに名づけられたか、それともイサクに名づけられたか。
    アブラハムは自分が井戸を掘ったところをベエル・シェバと名づけました。イサクも井戸を掘りましたが、イサクが都市の名前をつけました。イサクは彼の父であるアブラハムの経験を記念としてその都市にその名前をつけました。

    22:2

    創造主は人間を生贄(いけにえ)とすることを認めるのだろうか。
    神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

    聖書の創造主なる神様は、人間の生贄を嫌います。レビ記では、明らかに人間の生贄を禁止されています(18:21,20:2-5)。創造主なる神様は、アブラハムにイサクを殺して欲しくはなかったのです。22章1節によると、神様の命令はアブラハムを試みるためでした。