イエスとモーセの律法


十戒     
キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。(ローマ10:4)


わたしが来たのは立法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(マタイ5:17)


旧約聖書と新約聖書を見比べた時、一見矛盾しているように見える箇所があります。例えば、旧約では、レビ記11:12によると貝やイカ・タコなど日本人が 好きな食べ物は禁止されています。でもこれらのものは新約では食べても良いといっています。神の考えが変わったのでしょうか。そうではありません。神は不 変の神です。だからこそ私たちは神に信頼できるのです。では、どういうことでしょうか。2番目の聖句(マタイ)を読むと理解できるでしょう。 ここにはっきりと説明があります。クリスチャンは現在でもすべてのモーセの律法を守っているでしょうか。 先にもいったようにそうではありません。厳密に言うと、あるものは守っていますが、その律法全部を守っていないということです(食べ物・儀式など)。 それは法律のあるものは永続的なもので、他のあるものは一時的なものと考えられるからです。 これは、モーセの時代より前の古代ユダヤ人に、儀式の命令(割礼を除いて)は与えられていなかったということからもわかります。もし永続的に守ったほうが いいという律法なら、神は初めから人々に与えなかったでしょうか。

ではどの律法が永続的で、ほかのどれが一時的かを理解するには、まず法律が3つの部分により構成されていることを知っておく必要があるでしょう。その3つとは 儀式、民法、そして道徳(モラル)という律法です。

儀式的な法律は特にイスラエルの礼拝と関連していました。 その主な目的が、到来する救い主を指し示すことであったので、救い主であるイエス様御自身が来たことによりその律法は不必要となりました。 その律法はイエス様によって取り除かれ、廃止されたのではありません。イエス様はその律法を成就したのです。事実イエス様が、儀式的な法律をしてはならな いと言っているところは聖書のどこにもありません。 儀式的な法律のもとになる原則は、今日でも適用されるべきです。その原則とは、神聖な神を拝む、あるいは神様に義務を果たすということです。

民法はユダヤ人の日常生活のための規則です。 これらの法律は異教徒からユダヤ人を分離し、神聖な人々がどのように生きるべきであるか他の異教徒への模範となるためのものでした。そして、神はユダヤ人 に対し多くの祝福を与えられたので、その分期待も多くされました。 しかし、神はキリストの新約(新しい神との契約)を与えることにより、現在、ユダヤ人と異邦人との間の区別をなくしました。 私たちは、創造主であられる神の人々としてこの法律に従わなければならなりませんが、この民法の違反に対する処罰は、どのような国家でも、その民に対して 旧約聖書で神が定めているものと同じ罰を押し付けるべきではありません。言い換えるならば、このような民法への違反に対する罰はその国々で処罰が決定され るべきです。なぜなら、神はこのような処罰を課すことによってユダヤ人を他の人々と聖別して他の人がそれを見本とするようにしていましたが、私たちにはイ エス様という完全な見本があるので、現在はある特定の国家(ユダヤ人)によらず、神の恵みにより分離されているからです(クリスチャンとノンクリスチャ ン)。

モラルの法律は基本的にモーセの十戒です。救いのためだけではなく、神聖な生活をするために、今日の私たちにもこれらの法律を守る義務があります。 イエス様は、クリスチャンがこれらの命令に従うことだけではなく、これらの命令を越えることを願ったのです。 イエス様は言いました。 「昔の人々に、『人を殺してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって理由なくし て腹を立てるものは、誰でもさばきを受けなければなりません・・・」 イエス様はこれらの法律に対して外面的な従順だけではなく、その上にさらなる内面的な従順をも望んでいます。

そして、神の法律を破ったため罰されたのはイスラエルだけではなかったことを忘れてはいけません。例えば、レビ記18:24-30を見ましょう。
「あなたがたは、これらのどれによっても、身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国々は、これらのすべてのことによって汚れており、このように、その地も汚れており、それゆえ、わたしはその地の咎を罰するので、その地は、住民を吐き出すことになるからである。あなたがたは、わたしのおきてとわたしの定めを守らなければならない。この国に生まれた者も、あなたがたの間の在留異国人も、これらの忌みきらうべきことを、一つでも行なうことがないためである。・・あなたがたより先にいたこの地の人々は、これらすべての忌みきらうべきことを行なったので、その地は汚れた。・・ あなたがたがこの地を汚すことによって、この地が、あなたがたより先にいた国民を吐き出したように、あなたがたを吐き出すことのないためである。これらの忌みきらうべきことの一つでも行なう者はだれであろうと、それを行なう者は、その民の間から断たれる。あなたがたは、わたしの戒めを守り、あなたがたの先に行なわれていた忌みきらうべき風習を決して行なわないようにしなさい。それによって身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神、主である。」
神はイスラエルだけに啓示された姦通、子供をいけにえにすること、同性間性交などに関するモラルの法律に反する行為をした国々を罰しました。これらの法律は人間の心に書いてあるからです(ローマ 1:20-21, 32; 2:11-15)。ソドムとゴモラの例をも忘れてはいけません。ニネベも悔い改めなかったなら滅ぼされました。ですから、旧約の法律がイスラエルだけに適用されたとは言えません。それは法律が啓示された時も今も間違った考えです。

このように、イエス様が来たことによってすでに成就された法律は、儀式に関するものであるということがわかります。儀式とはすでに起こったことへの記念、 あるいは将来のための手本です。 儀式を含んでいる旧約聖書の法律は永久的ではありませんでした。しかし、モーセの十戒には儀式がありません。

最後に、規則に従うことだけによって、私たちが天国に入ることはできないということを覚えておかなければなりません。 私たちが天国を見るのはただ一つ、イエス様の血によって見るしかないのです。 けれども、もし私たちがイエス様を信じ、イエス様を愛しているのであれば、私たちはおのずとイエス様の命令を守るのではないでしょうか(ヨハネ14:15)。