ヒーリングへの旅 
――中絶の余波の中で――

メアリー・ローレンス・コム 著



「まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。」
マタイ25:45

はじめに、私がここで自己紹介することをお許しください。私の名前はペテロです。まあ、事実ではありませんが、それはここではたいした問題ではありません。あなたはペテロを知っていますね? 彼はイエスとともに歩んだ人でした。イエスを愛していた人。彼は漁網を捨て、イエスに彼の生涯を捧げた人。イエスに「他の人があなたを否定しても、わたしは決してしません」と言った人です。 [1] 自分の最愛の主が打たれ血を流して立っていた時、遠方の安全な距離から火で手を暖めながら立っていた人。否定することによって、彼の主と友(イエス)を裏切った人。[2]

私もまたイエスを知っています。私はイエスを愛しています。私はイエスと歩んできました。私は、イエスを決して否定しないと信じていました。しかし、それは起こりました。私の親しい友人は妊娠という危機とともに私のところに来ました。私は彼女にアドバイスを求められました。私は彼女との友情を失いたくありませんでした。したがって、私は、彼女が赤ん坊のいのちを中絶すると決心した時、私は私の手を暖めながら立っているだけでした。私はなんと「よい友達」でしょう。さらに私は、彼女を病院まで運転することも申し出ました。しかし、彼女の友達であるために、私は主を裏切りました。

恐らく、あなたもまたペテロかもしれません。マーク(反応)は青で妊娠が確認されました。そして、パニックが生まれました。中絶、よい解決ではありませんが、その時は唯一の解決のように見えました。結局、それは社会的に受け入れられているではありませんか。それはすべての女性の選択ではありませんか。誰もあなたの無分別を知らないでしょう。誰もあなたの罪のことを知らないでしょう。しかし、神は知っています。そして、あなたも。

恐らく、初めあなたは安堵感を覚えたかもしれません。何日もの耐え難い迷いは終わりました。パニックは通過しました。しかし静けさの中で、ふくれあがる深い悲しみがあります。罪。恥。後悔。しかし、それは遅すぎます。あなたが抱いたり、くすぐったり、あやしたりするはずだった子供は――いなくなりました。何も赤ちゃんを戻すことができません。

私の罪と恥が浮き彫りにされるのには長い時間がかかりました。しかし、何年もの否定は私の悲痛を少しも軽減しませんでした。その否定を自分自身で認める前に、中絶が実際なんであるかについて本当に理解する必要がありました。それは、いわば神の前に立ち神の失意を見ることでした。あたかもこの私が中絶をする医者に道具を渡したかのように、罪が私を突き刺しました。私は殺人の共犯者でした。ペテロがイエスを裏切ったのと同じように、私はためらいと無知のためイエスを裏切りました。私は、友達のまだ生まれていない子供というこの最も小さいものたちの1人を守りませんでした。

しかし、ペテロとの類似はそこで終わりません。あなたは、イエスがよみがえった後にペテロのために何を行ったかを覚えていますか。[3] イエスは、ペテロを彼の罪の中で衰弱させておきませんでした。かわりにイエスは、ペテロを優しく赦しへと導きました。イエスは罪を受け入れそれを和らげるために、よく知られているガリラヤ海岸へ(イエスが最初にペテロを見出した)戻ってきました。イエスは、ペテロに「あなたは私を愛しているか?」と、一度、ならず3度も尋ねました。イエスはすべてを知っていました。イエスは、ペテロが彼を愛していることを知っていました。それでは、なぜイエスは何度も繰り返し聞いたのでしょう。それはあたかもイエスが「私はあなたを許す。私は、あなたが自分自身を赦すことを願っている。」と、言っているかのようです。唯一その後、ペテロは前進することができ、神の王国のための彼の仕事を続けることができたのではないでしょうか。恐らく、イエスは、もし自分が戻らなければ罪と自分の無価値さの中にいるペテロが、彼の人生の残りを暗い海にカラのネットを投げ込むように費やすだろうと知っていたのでしょう。

あなたは罪によって暗くなった海にカラのネットを投げ込んでいませんか。あるいは、あなたは神の赦しを受け入れましたか。あなたは自分自身を赦しましたか。私は、ペテロがどう自分自身を赦したか知りません。恐らく、罪を溶かすような愛と哀れみがイエスの瞳にあったのかもしれません。恐らく、生きている神の前で再び自分を献身する機会に、憂うつはなくなったのかもしれません。たぶんそれは、あなたにとってあまり容易なことではないでしょう。それが私にとって簡単ではなかったことを覚えています。

私の罪悪感が現れる前に、神の恵みの中で赦しの原理を神が私に教えてくれました。それで私は罪悪感の前に、神の恵みを知っていました。それでも、私はちょうど彼がペテロを赦したように神が私を赦したことを受け入れるために何度も繰り返して選ばなければなりませんでした。そのうちに、聖霊の働きによって、私は頭を上げイエスの御顔を拝し、完全に神の赦しを受け入れ、自分自身を赦すことができると知っています。今のところ、私はヒーリングへの旅を続けています。

あなたがヒーリングへの旅を始める(あるいは続ける)とともに、2つのものを忘れずに覚えているようにアドバイスします。 一つは、あなたの貴重な小さな赤ちゃんは死んでいません。むしろ、そのこどもは生きています――私たちの天の父の愛しい腕の中で安全です。そしてもう一つは、今もし、あなたが子供の声を聞くことができるならば、その子はきっとこう言っているでしょう。「――私たちの天の父とともに――私はあなたを赦します。私は、あなたにあなた自身を赦してほしいのです。」私といっしょに赦しへの旅をしていただけませんか?

[1] マタイ26:31-35
[2] マタイ26:69-75
[3] ヨハネ21:1-17

あなた自身と他の人を赦す原理

赦しは感情ではありません。 それは、意志の自覚的行動としての決断であって、全くあなたの感情と関係がないのです。あなたの決断が感情を変化させるわけではありませんが、感情がその決断を無効にすることもありません。決断することは最終的な行く先ではありません。それはヒーリングへの旅の始まりなだけです。

赦しはダメージを消したり、苦痛を最小限にしたりはしません。 それらが後にあなたのつまずきとなるような振舞いや結果を覆い隠すわけでもありません。赦しはあなたの感情と正直に直接向き合いそれに対処することを含んでいます。怒り、傷、罪、恥を認めることです。しかし、あなたの感情は毎日変化するので、変わらない神の御言葉にあなた自身をとどめるように決心しなければなりません。

赦しは神の恵みです。 もし、あなたが自分は赦されるものとしての値うちがないと思うなら、あなたは正しいです。赦しはカルヴァリーでイエス・キリストが流した血に基づいた、神からの無料の贈り物です。ちょうどあなたが救いに導かれるための赦しを得るために何もしなかったように、今あなたの罪のための赦しを得るために何も行うことができません。ただあなたは、神の赦しを受け入れることを決心しなければなりません。また、あなたは、あなた自身を赦すことを決心しなければなりません。神は、あなたがそのように行うように命じています(エペソ 4:31-32)。

赦しは命令です。 神は、私たちが神に従うべき方法を提供せずに、何かを行うことを私たちに命じません。神の赦しに依存せずに、赦しの命令に従うことは不可能です。イエスは言いました、「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」(マタイ19:26)。神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。そのうちに、神は、聖霊の力によって、中絶に携わったあなた自身とその他の人を完全に赦すことを可能にするでしょう(ピリピ 2:13)。しかしながら、あなたが、赦すことを最初に決断しなければなりません。あなたが神を許可すれば、罪、悲嘆そして恥の束縛からあなたを解放するために、神はあなたに働くでしょう。

注: 中絶後遺症についての補足情報および直って、見つける方法については、 SafeHavenを訪問してください。 .

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