富士登山、いくつもの道



日本には、「すべての宗教は富士登山のようなもの」と言う言葉があります。これは、どの宗教を信じても天国に行けるという意味です。ある、日本へ行った宣教師はこの言葉をよく聞きました。そして、その宣教師はいつもこのように、答えました。「富士山の頂上へ登る道はたくさんありますが、頂上から天国へ行く道は一つです。」これは、どのような意味でしょうか。

すべての宗教がみんな同じだという考えは一般的によく受け入れられています。たぶんそれは、他人の意見を尊重し、賢明にみえるからでしょう。「宗教はみんな同じ」と言う意見の多くは、特定の信仰を持っていない人の言葉であって、信仰を持っている人はそうは考えません。世界の宗教学からざっと見ても、宗教の多元論は論理的ではないとすぐにわかります。

相対主義が広く行き渡っているにもかかわらず、多くの人は同じような議論を他の事柄には適用しません。例えば、歴史・地理・言語などのどの教授が、「正しい答えなど存在しない」と、言うでしょうか。なぜ、宗教だけ別格なのでしょう。私たちは宗教でも他のものと同じ様に事実を追求するべきではないでしょうか。

すべての宗教はそれぞれ驚くほど違いがあるのに、宗教はみんな同じだという考えが、どうして道理に合うのでしょうか。ある宗教は一神教(唯一の神)で、他のある宗教は多神教(複数の神々)、あるいは汎神論(すべての事象は神のあらわれ)を教理としている宗教もあります。世界のさまざまな宗教には、それぞれ違う導きがあります。悟りの境地(涅槃=ねはん)や永遠のいのち、赦しや償い、個人的に交流のできる神やたくさんのいろいろな神々(あるいは神の存在を否定する無神論も宗教の一つの立場でしょう)、恵みによる救いや行いによる救いなど・・・。これらは妥協できる違いではありません。基本的論理の法則からすると、(例:矛盾しない法則など)これらの違いは両者が同時に真理ではありえません。論理的に、これらの宗教がすべて間違っているということはあっても、これらがすべて正しいということはありえません。

この他にもたくさんの違いや矛盾があります。事実、キリスト教は自分自身では救いを受けられないという点で、他のすべての宗教と異なります。他の宗教はすべて、人間は教えに従ったり、規則を守って生活すれば救われる、あるいは満たされると教えています。この違いは似たような二つの例え話によく表されています。一つは仏教のものでもう一つはキリスト教のものです。これら両方の例え話には、放蕩息子がでてきて、その息子が家に帰ってくるというものです。仏教の例え話では、この息子はその罪のために苦役の罰を受けます。キリスト教の例え話では、放蕩息子は受けるには余りある許しを受け、歓迎されます。

すべての宗教にはいくつかの真理が含まれているということはあると思います。例えば、ヒンズー教では動物を大切にします。仏教は思いやりと謙遜を教えています。イスラム教は神に対するすべての献身を教えています。このように、もし富士山の頂上が真理であるなら、前述の言葉は当てはまります。しかし、天国は究極の真理、つまりすべてが真理(完全)で、一つの間違いもない、ただ一つの宗教だけが天国へ通じる道なのです。言い換えるなら、天国は富士山の頂上ではなく、その遥か上に浮かぶ雲の上にあるようなもので、頂上から天国までの道はただ一つしかありません。そして、頂上までは道があり人は自分のちからだけで頂上までたどり着くことができるかもしれません。しかし、頂上から雲(天国)までは、鳥のように飛べない私たちには自分一人ではたどりつけません。方法はただ一つ、神に導いてもらうしかないのです。

もし、神がいるなら、聖書が言うように、「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。・・・ 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ書55:8-9)はずです。限りある私たちのようなものが、神のような存在のいる天国に行けるでしょうか。私たちのようなものが、創造主の助けなしで創造主の所に行けるでしょうか。客観的な答えは、“いいえ”です。私たち限りあるものは、永遠の創造主の助けなしには永遠に存在することはできないのです。これが、行いによって救われるという教えの宗教の問題です。

聖書は、人間はすべて罪人だと教えています(ローマ3:23)。創造主は聖なる正しい方です。そして、罪の代償は死です(ローマ6:23)。聖なる正しい神には、神に従わないものを破滅させる権利があります。しかし、聖書の神は恵み深い方です。この恵みとは「私たちが払うべき代価を帳消しにする」ものです。だからこそ神の限りない愛によって、私たちは不義を洗い清めてもらうことができるのです。ヨハネの福音書3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」にあります。(神の救いの計画についてはここをクリックして読んで下さい。)

すべての宗教がみんな同じではないということが、わかりましたでしょう。そして、すべての宗教が真実であるといえないということもわかりましたでしょう。イエス・キリストは、イエスが唯一天国へ行く道だということを明確にしています。イエスは言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書14:6)もし、キリスト教が真理なら、他のすべての宗教は間違っていることになります。もし、すべての宗教が真理なら、キリスト教は間違っていることになります。そして、このキリスト教の除外は、妥協を不可能にし先述の「宗教はみんな同じ」というものに、矛盾します。もちろん、富士山の頂上に登る道はいくつもあります。しかし、天国に行く道はただ一つです。