いかなる論争?



創造論/進化論を調査する場合、私たちはよく異議を聞きます:「しかし、どうしてそれらすべての科学者が間違いをおかしうるか」。私は、ここでそれについて話したいと思います。

最近、私は大学で人類学の授業をとりました。私は、授業の前に予習として教科書を読み、私たちがこの学期中に自然淘汰の例としてイギリスの有名な蛾「オオシモフリエダシャク(peppered moth)」について授業で扱うことを知りました。私は以前、その蛾の実例が不正行為だったということを読んだことがありました。 その写真が偽造されたものだっただけでなく (オオシモフリエダシャクは、木幹にとまって休んだりしない)、論文を書いた科学者の発見は他の科学者によっては確認することができませんでした。したがって、人類学のその授業のために、私はその記事のコピーを取り準備をして出席しました。講師の先生がその蛾の話を出した時、私は手を上げて、「この例については論争があるのではないでしょうか。」と尋ねました。 先生はしばらく沈黙した後、こう言いました。「私は論争について聞いたことがありませんし、このクラスの目的のためには、論争はありません。」

 

私はこの答えに満足しませんでした。それで、授業の後に、私は先生と話すために教壇のほうへ行きました。私は先生に記事(ネイチャー誌、396号、35-36ページ、1998年11月5日発行)を見せました。先生の最初の言葉はこうでした。「これは創造論者が書いた記事の1つじゃないの?」しかしながら、そうではありませんでした。それで私は、「いいえ、これはネイチャー誌からの記事です」と言いました。その後、先生は、私の心配を和らげようとするかのように、言いました。「もし来年の教科書の中に出てこなければ、私はこれを例として使用しないよ。」

 

その先生の発言から多くのことを学ぶことができます。先生の最初の言葉は「私は論争について聞いたことがありません」でした。しばしば、科学の世界では、科学者個人の専門以外の分野での論争に気づきません。蛾の例は生物学の分野に入るので、人類学の先生が論争について知らなかったということは特に驚くべきことではありません。

彼の2番目の言葉は、さらに多くを語っています。それは、創造論者の見方に対する全面的無視を示しています。証拠の有無にかかわらず、創造論からの見方は、欠けていると判断されるので、まず聞いてもらえません。

最後に、事実にもかかわらず、先生が“もし”それが教科書に出てこなければもう使用しないと言った、私に対する保証は、先生の進化論に対する完全な信念を語っています。私の先生は、それが自然淘汰に関する彼の要点を示す例だということだけで、嘘であるその教材を喜んで教えました。

そうすると、どうしてそれらすべての科学者が間違いをおかしうるか。それについては多くの説明があります。科学者は人間です。ちょうど私たちが持っているように、科学者も先入観を持っています。科学者の一人として、すべての分野のエキスパートでありえません。そして最終的に、ある人々は単に彼らの理論に専念するあまりに、喜んで嘘であると知っていながらそれらのものを支援します。

よりよい質問は、「なぜ進化論が科学の世界においてそれほどまでに心の拠点になっているか」でしょう。 一人の創造論者の理論に欠点が示された場合、創造に関する全理論が否定されます。しかしながら、進化論者の理論が誤りである(ラマルクの用不用説 のように) ことを示された場合、進化論はその名声および科学者の信念を維持します。

オオシモフリエダシャクという蛾に関してもっと興味を持たれる方は ジョン・モーリス博士の記事「オオシモフリエダシャク(Peppered Moth)」を参照してください。