キリスト教の基本


ほとんどの人が無宗教か仏教徒である国では、キリスト教に対して大きな誤解があるということは決して驚くべき事ではありませんが、長野で働いていた頃、上司にイエスが死んでから神になったと信じているかと聞かれた時には正直少しびっくりしました。キリスト教で最も重要なことに対する大きな誤解でした。

私はここでクリスチャンが何を信じているかについて簡単に説明したいと思います。これらの信念はキリスト教を定義するものですのでカトリックでもプロテスタントでも宗派を問わずすべてのクリスチャンに適用されます。エホバの証人、モルモン、統一教会などのカルトにはもちろん適用されません。

クリスチャンとはイエス・キリストの教えを信じてそれに従う人のことです。Christian は Christ(キリスト)に ian(のもの)です。クリスチャンがイエスについて信じていることとはイエス自身が語ったこととイエスの弟子による証です。これらの教えは聖書に書いてあります。

創造主について
まず、クリスチャンは創造主が一人であることを信じています。旧約聖書と新約聖書の両方はこれを教えています(旧約=イエスの前、新約=イエスの生涯以降)。ちなみに科学的にも言えるのではないかと思います。全宇宙の歴史が無限であることはありえません。しかし、創造主が無限ではなければこの全宇宙を創ることはできませんでした。そして、無限に無限を足してもそれも無限です。従って無限の創造主がいれば一人です。
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クリスチャンもユダヤ教徒も一神教です。クリスチャンは創造主が永遠から三位一体として存在していると信じています。この三位は三人の神ではありません。この三位は全宇宙と同様、三位一体です。全宇宙が空間、物質、そして時間からなっているのと同じように、創造主は父なる神、子なる神、聖霊からなっています。空間は物質でも時間でもありません。父なる神は子なる神でも聖霊でもありません。三位一体の創造主が三次元の世界を創造しました。余談かもしれませんが、「父」と「子」といっても、血のつながりではなく、役割の意味で使われています。
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イエスについて
前の文章を読めば分かるように、私の上司の理解とは違い、クリスチャンはイエスが死んでから神になったと信じているのではなく、永遠から神であると信じています。

それならどうして創造主が人間になったかと聞きたくなるのではないでしょうか。仏教と、他にほとんどの宗教は性善説を前提にしています。社会とそれぞれの事情が元々善であった人間を悪に変えるという考え方です。しかし、キリスト教の教えは性悪説です。だれも自分の子供に嘘のつき方を教えないでしょう。これは本能です。暴力も人間の本性です。最近、大人が部屋をちょっと出ている間に3、4人の赤ちゃんが一人の赤ちゃんを噛んで大怪我をさせたという記事を読みました。性善説ではこのような事件は説明できないのではないでしょうか。
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人間について
クリスチャンは創造主が全宇宙と人間を創造したと信じています。人間は「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と言われています。完全な創造主が全宇宙を創造したとき、全宇宙も完全でした。人間は自由意志を持つように作られました。これによってロボットのように従うのではなく、創造主を愛し、創造主と本当の関係ができるようになっています。しかし、残念ながら人間はその自由意志で創造主に背きました。この結果は全宇宙に対するのろいでした。

人間の罪はこの世界に苦しみと死をもたらしました。聖なる創造主は「目が清く、悪を見られない者、また不義を見られない者である」と聖書に書かれています。これにはジレンマがあります。罪を犯していない人間は一人もいません。すべての人間は生涯のどこかで創造主の命令に従わないことがあります。そして、それがどんなに小さいことでも永遠に創造主から離れなければなりません。
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創造主と人間の関係
聖なる正しい創造主は罪を罰さなければなりません。そして、「罪の支払う報酬は死である。」罪が罰せられなければその創造主は正しい方とは言えません。しかし、創造主は完璧な方でもありますので創造主は愛の元でもあります。聖書によると、「神は愛である。」聖なる創造主は罪を罰さなければなりませんが、愛なる創造主は罪を許さなければなりません。この二つのことが調和されるために、創造主は同時に罪を罰し、許さなければなりません。

その計画とは創造主自身でその罰を受けることでした。これは子なる神が人間になることによって成就されました。イエスは完全に神でしたが、完全に人間でもありました。人間の悪性を持たないように、イエスは処女によって生まれました。

イエスは人間となり、罪のない人生を歩みました。罪がなかったので罪の罰の対象ではありませんでした。しかし、この完全な人間がすべての罪を負い、十字架で死にました。創造主がイエスを罰することによって人間を許しながらその神聖を失いませんでした。

しかし、それが終わりではありません。イエスは死に勝ち、復活しました。この復活によって私たちも復活するという希望があります。イエスがそのように約束してくださいました。

これがキリスト教です。「口でイエスを主と告白し、心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じる」ことによって永遠の命を得ます(ローマ人への手紙10:9)。私たちがしなければならないことはただ創造主の許しを受け入れることだけです。
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