いのちは権利?


ある人が妊娠中絶を考えたなら、まずその人は「いのちは権利か?」と、自問する必要があると思います。この問いに、ほとんどの人が明白に「いのちは権利です!」と答えられるのではないでしょうか。pro-lifeの支持者(小さないのちを守る会支持者=中絶反対者)とpro-choiceの支持者(中絶賛成者)は、この点で一致しています。しかしながら、この二者の間で一致していないことがあります。それは、“いのち”の定義です。


しかし、この“いのち”の定義も一致するべきです。科学者によると、いのちは受胎の時から始まると、定義付けられています。J.P.グリーンヒル医師とE.A.フリードマン医師は産科学の著書で、「受胎によってできた接合体は、新しいいのちの始まりである。」と、言っています。いのちは受胎の時から始まると、科学者の間、そして医学雑誌でも一致して証明されています。これは宗教的立場からではなく、科学的立場からの証明です。


科学の定義からすると、お腹の中の胎児は生きているのですから(胎児のいのちはすでに始まっているのですから)、胎児にはいのちを主張する権利があるということに、私たちは同意するべきではないでしょうか。胎児のいのちは受胎の時に始まり、その時からいのちの権利は守られるべきです。しかしながら、私たちは利己的に議論しようとすれば、それができます。発達の段階や、母親の感情、感覚など・・・しかし、これらは赤ちゃんを殺すための、便宜的ないのちの定義です。

女性の立場を守るための権利、あるいは女性の選ぶ権利ほど子供のいのちの権利が重要かどうか議論されているのが今の状態です。しかし、この二つは等しいもの(権利)ではありません。言い換えるならば、胎児のいのちはすでに生まれた子供や、女性のいのちと同等のものです。子供のいのちの権利は常に女性の都合にあわせる権利より重要視されるべきです。子供のいのちが危ない目に合わないように、女性が一時的に不自由になることを社会が受け入れることはそんなに不道理なことではないはずです。

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